富士山宝永大爆発

富士山宝永大爆発 永原慶二 集英社新書
ISBN4-08-720126-0 740円 2002年 1月

目次
まえがき
第一章 620年ぶりの大爆発
第二章 その日から飢餓と訴願
第三章 藩領に切り替える
第四章 御厨地方、自力除砂の苦難
第五章 伊奈忠順の御厨巡検と除砂金支給
第六章 復興の道遠く
第七章 生き残りをかけた入会地紛争
第八章 酒匂側筋一変
第九章 田中丘隅と文命堤
第十章 蓑笠之助の普請と足柄復興への道
第十一章 終わりなき御厨地方の苦闘
第十二章 終わりに
あとがき
引用資料

 1707年の富士山の宝永火口からの大噴火の影響。偏西風に乗って火山灰が東側に降ったので、被害は東側に片寄る。中でも、火口に近い御厨(みくりや)地方、また火山灰のために河道が埋まった酒匂川の川沿いの地方。

 幕府も小田原藩も年貢米を取り立てられない心配はするが、本格的な被災住民の救援は行わない。お互いに経済状況が切迫しているので、藩領←→幕領と押しつけ合う。幕府は救援金(諸国高役金)の名目で全国から集めた48万両のうち(「近年御入用の品々これ有る所、去冬武州相州駿州三カ国の内砂積もり候村々御救い旁々」で徴収)、被災住民に渡ったのはせいぜい8千両程度、酒匂川改修などで5.5万両の合計6.26万両以外は幕府財政立て直しのために使われたのだった。

 当然、被災地(御厨地方)の復興はままならない。被災住民同士の対立も生じる。事実上の棄民政策。穀倉地帯であった酒匂川の改修は民間人登用でなんと切り抜ける。

2003年12月記

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