ベア・アタックス クマはなぜ人を襲うか I、II
S.ヘレロ 嶋田みどり・大山卓悠訳 日本クマネットワーク解説
北海道大学出版会 2000年9月 各2,400円
ISBN4-8329-7301-0 ISBN4-8329-7302-9
目次
I巻 |
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II巻 原注 |
表題通り、クマによる人への襲撃(アタックス、遭遇(エンカウンター)ではない)についての詳しい報告・研究書。どう猛といわれているアメリカのグリーズリー(日本のヒグマと同じ仲間)と、それより少しはおとなしいといわれるブラックベア(アメリカクロクマ、ツキノワグマより大きい)が対象。人を獲物(食べ物)として襲う場合もあるようなので、その場合はどうしようもない。そうでない場合は、グリズリーは「死んだふり」をすると助かる場合があるということ、ブラックベアならともかく反撃も有効であることが述べられている。
しかし、Iの132ページにあるように、「『これは人身事故に結びついた状況である。』という確信を持たせるようだが誤った方向に導きかねない言い方と、『クマは予測不可能である。』という実質的な内容のない言い方とのはざまで、つねに気持ちが揺れ動いてきたからだ。」というのが正直な結論だと思う。
ともかく、筆者が繰り返しくどく述べているのは、生ゴミの処理の問題で、生ゴミをあさることを覚えたクマは、人の食べものも覚え、さらに人の存在にもそのものにも馴れ、そのうち人をも捕食の対象にするようになる危険があるということである。
原書は1985年の出版だが、「補章 星野道夫の死」(1996年8月8日の事件)が書き加えられ、そのときの状況が詳述されている。まさに、クマも熟知していたはずの動物写真家星野道夫を襲ったクマは、上記のような生ゴミ食や人の食糧に馴れたクマで、それは星野道夫が愛していた野生のクマとは外見が同じでも中身にまったく違う、人間が学習させてしまったカリカチュアであることが、痛恨の念を持って書かれている。
解説として日本のクマ対策も載っている(これは日本クマネットワーク(IBN)が執筆)。
手持ちの類書としては、「クマにあったらどうするか アイヌ民族最後の狩人」(姉崎等、木楽舎、2002年4月、1,600円、ISBN4-907818-14-9)、「クマに会ったらどうするか −陸上動物学入門−」(玉手英夫、岩波新書黄377、1987年6月、ISBN4-00-420377-5)がある。この両書では、「死んだふり」はあまり薦められた方法ではないということになっている。しかし、生ゴミ等人間側の問題が大きいということは共通している。
蛇足:昔のTVアニメ「クマゴロー」(Yogi Bear)での、ジェリーストーン公園のクマゴロー(と相棒のブーブー)が、公園管理人さん(スミスさん)と攻防を繰り広げる話しを思い出した。つねに人の食べ物を狙うクマゴローと、それを阻止しようとする管理人スミスさんの物語りである。上の本を読んで、1950年代終わりから1960年代はじめに、すでに「餌づけ」を拒否する公園の姿勢が(危険なクマをつくらないようにする)、このアニメにも反映していることがわかった。子供のころ、アメリカではクマと人が仲良く暮らしているということを示す写真で、車からクマにエサを与えているものがあったが、すでに時代遅れだったわけだ。
さらに連想は飛んで、1997年に火星に軟着陸をしたマーズ・パスファインダーに積まれていた探査車ローバー(ソジャーナー)が、「Yogi」と名付けた岩石を調べた結果、安山岩らしいとわかった、つまり火星に火成活動だあったらしいことがわかった、というところまでいってしまった。
閑話休題:北海道のクマ牧場、確か登別だったと思うが、あの屈強なヒグマがエサをねだって「芸当」する様子を見て、心が痛んだ(でも私もエサを投げた(‥ゞ)。しかし、クマが徘徊しているところに頭だけ出せる(もちろん強化ガラス越し)ところがあって、そこに頭を出すと間近にクマを見ることができるばかりではなく、その迫力ある息づかいも聞こえて、やはり自然の中ではあまりこの仲間には会いたくないと思った。
2002年11月記
星野道夫の「グリズリー」が平凡社ライブラリーoffシリーズとして再刊されました。「GRIZZLY
グリズリー」(星野道夫、平凡社offシリーズ、2002年11月、1,200円、ISBN4-582-76450-9)。
グリズリーのクローズアップも迫力がありますが、雄大な自然の中に、点景としてグリズリーが“存在”している写真もとてもいい。 昔、平凡社で「アニマ」という雑誌がありました。ここからは星野氏はじめ、宮崎学(猛禽類や野生動物の無人撮影など、小説家とは別人)、嶋田忠(なんといってもカワセミ)、竹田津実(キタキツネ)などが育っていった。廃刊が惜しい雑誌でした。 |
2002年12月追記