第一部−2− 宇宙の科学

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第4章 太陽系(11)
2.太陽系小天体−2−
b.彗星
用語と補足説明
参考になるサイト

第4章 太陽系(11)

2.太陽系小天体−2−

b.彗星(Comet)

 彗星(すいせい)は非常に細長い軌道で太陽のまわりを回っている。そして、太陽に近づくと尾を出す。この尾のために、ほうき星とも呼ばれることがある。

 彗星の実体は「汚れた雪だるま」といわれている。氷と岩石の塵、他に凍ったメタン、アンモニアなどが核をつくる。この彗星が太陽に近づくと氷などの気体になりやすいものが太陽の熱で気体となって核を取り巻くようになる。これがコマである。さらに太陽に近づくと、太陽の反対側(進行方向の反対側ではない)に尾を吹き出すようになる。尾をよく見ると2種類あり、青白っぽいイオンの尾と黄色っぽい塵(ダスト)の尾とである。青白っぽい尾は、太陽風の圧力で太陽のちょうど正反対側に伸びている。黄色っぽい尾は太陽光の圧力で後ろ伸びていてが少し曲がっている。

 公転周期が200年以下の彗星を、短周期彗星という。有名なハレー彗星もその仲間である。周期が200年〜数千年のものを長周期彗星という。彗星の中には、放物線軌道、双曲線軌道を持つものもあって、こうした彗星は一度太陽に近づいたあとは、再び戻っては来ない。

 大きな周期彗星でも、太陽から遠いときは暗くて肉眼では見ることができない。また軌道上の動きも遠いときはゆっくりとしている。太陽に近づく明るくなり、尾を出すようになって見えだすが、どんどん加速してきてあっという間に再び遠ざかってしまう。だから、数ヶ月でまた見えなくなってしまう。こうした彗星の動きと尾の出方については国立科学博物館の「宇宙の質問箱」を参照。

 彗星の起源は、太陽を球殻状に1万〜10万AU程度の距離で大きく取り囲んでいるオールトの雲と考えられている。もう少し太陽に近く、太陽をドーナツ上に取り囲んでいるカイパーベルトに起源を持つものもあるらしい。そうしたものうち、何らかのきっかけで太陽に向かって落ちだしたものが、惑星の引力によってとらえられると周期彗星となって太陽のまわりを回り出すらしい。だから、遠日点が大きな惑星の軌道付近であるものが多い。ハレー彗星の遠日点は海王星の軌道付近である。

 彗星は軌道上に塵をまき散らかしていくので、地球の軌道がこれと交差していて、地球がそこを通るときに多くの流星が見られることになる。

 また、彗星そのものが惑星と衝突することもある。1993年には、シューメイカー・レビ彗星が木星に衝突した。木星の表面にはしばらくこの衝突の衝撃のあとが、ハッブル宇宙望遠鏡からも見えるほどだった。もし、地球に衝突したら大変である。

 欧州宇宙機関(ESA)が2004年打ち上げた探査機ロゼッタは、2014年にチュリュモフ・ゲラシメンコ彗星に到着、着陸機フィエラを投下した。フィエラの予定した地点での固定がうまくいかず、太陽光があまり当たらない場所だったので、電力の供給がままならない。そのたま、地球へのデータの送信は限定されたものになっている。ロゼッタが送ってきた画像はこちら。

1997年に出現したヘール・ボップ彗星、イオンの尾と塵(ダスト)の尾がはっきりと分かれている。
http://solarviews.com/cap/comet/halebop2.htm
木星の引力(潮汐力)で分裂してしまったシューメイカー・レビ彗星。ハッブル宇宙望遠鏡撮影
http://solarviews.com/cap/sl9/1993eha.htm
木星の表面の衝突の巨大な痕跡(黒いシミみたいに見える)。ハッブル宇宙望遠鏡撮影
http://solarviews.com/cap/sl9/1993eha.htm

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用語と補足説明

ロゼッタ:欧州宇宙機関(ESA)が2004年に打ち上げた彗星探査機。2014年にチュリュモフ・ゲラシメンコ彗星に到着した。彗星の二つの部分のそれぞれ小さい側が2.5 x 2.5 x 2.0 km、大きな側が 4.1 x 3.2 x 1.3 km、質量1013kg。チュリュモフ・ゲラシメンコ彗星は2015年8月に近日点を通過した。そのときの写真も送られてきている。http://www.esa.int/Our_Activities/Space_Science/Rosetta

ガスを放射するチュリュモフ・ゲラシメンコ彗星 チュリュモフ・ゲラシメンコ彗星の表面。
表面の拡大。 着陸機ファイラが送ってきた画像。縦横693mm。

ハレー彗星と探査機ハレー彗星は、太陽からの平均距離18AU離心率0.97)、周期約76年で太陽のまわりを回っている。彗星は普通は発見者の名が付くが、ハレー彗星だけは例外で、軌道を始めてきちんと明らかにしたエドモンド・ハレー(イギリス、1656年〜1742年)の名が付いている。前回接近した1985年〜1986年のさいには、日本の探査機「さきがけ」「すいせい」の他、旧ソ連の「ベガ」(2台)、アメリカの「アイス」(太陽観測)、ヨーロッパの「ジオット」が打ち上げられた。なかでも「ジオット」は、1986年3月にハレー彗星まで600km程度まで接近して、核のクローズアップ撮影に成功した。

 それによると核は長さ15km、幅6km程度のピーナツ型をしていて、真っ黒(炭素?)であった。もともとこうしたものなのか、ハレー彗星はすでに何回も太陽に接近しているので、氷などがかなりはぎ取られてしまったためなのかはわからない。

 なお、ハレー彗星の次回の接近は2061年ころと予想されている。前回の1985年〜1986年のときは、太陽とハレー彗星、地球の位置関係がよくなかったが(尾が本体に隠れる角度)、次回は尾を横から見るようになるので、角度にして120°〜180°の壮大な尾が見られるはずである。

ガス(尾)を猛烈な勢いで噴きだしているハレー彗星、探査機ジオットが撮影
http://www.nineplanets.org/halley.html

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ハレー エドモンド・ハレー(イギリス、1656年〜1742年)、ハリー彗星の軌道の計算、貿易風、地磁気(偏角の発見)、オーロラ、高度と気圧の関係などの研究を行った。また、ニュートンを経済的にも精神的にも支えた。フラムスティードの死後、第2代グリニッジ天文台台長となる。

 ハレーは1531年、1607年、1682年の大彗星が同一のものと見抜き、その軌道を計算した(それ以前は彗星は天体ではなく、大気中の現象であるという考えも強かった)。そして、その予言通り1758年(すでにハレーは死んでいた)にその大彗星が現れた。この功績で、この大彗星はハレー彗星と呼ばれることになった。これで、ニュートン力学の正しさが証明されたともいえよう。

ジオットルネサンス初期のイタリアの画家(1226年ころ〜1337年)。彼が描いたパドヴァのスクロヴェンニ礼拝堂の壁画には、彗星らしきものが描き込まれている。これは彼が実際に見たハレー彗星らしい。

三賢人を導いた星がハレー彗星ということらしい
http://www.mystudios.com/gallery/giotto/17a.html

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ツングースの事件1908年6月30日、シベリアのツングース(バイカル湖の近く)の上空で大爆発があった。中心から半径20km以内の森林が焼失し、そのまわりの2000km2以上の木々もなぎ倒された。隕石やクレーターはないので、大気に突入した彗星本体が上空で爆発した可能性もある。残念ながら、ロシアからソ連への政治的混乱の時代だったので、爆発直後には調査隊を派遣することができず、ようやく1920年になって調査隊が組織することができ、上記のような状況が明らかになった。

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このページの参考になるサイト

日本惑星協会:http://www.planetary.or.jp/

宇宙航空研究開発機構のオンライン・スペースノート:http://spaceinfo.jaxa.jp/note/note_j.html

The Nine Planets(英語):http://www.nineplanets.org/(日本語に訳したサイトもあるが更新が遅れ気味)

NSSDC Photo Gallery(英語):http://nssdc.gsfc.nasa.gov/photo_gallery/

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