第3部 生命

第2章 生物の進化(4)

目次
3. 脊椎動物の進化(2)
d. 両生類
e. 爬虫類
用語と補足説明
このページの参考になるサイト

3.脊椎動物の進化(2)

d.両生類

 海で誕生した生物は、海や河川・湖などの水中で進化してきた。そのうち、植物の一部が上陸する。少し遅れて動物が上陸する。最初に上陸した動物は昆虫などの節足動物だっただろう。

 脊椎動物の上陸は少し遅れる。肺魚類総鰓類(そうきるい)は肉質の鰭(ひれ)をもっていて、中には海底を歩くことのできるものもいる。また、肺魚は空気呼吸もできる。乾期や日照りなどで陸に取り残される機会が多くなり、そうした環境で陸でも生活できる能力を持ったものが出てきたのだろう。現在のところ、上陸を果たした脊椎動物がどのくらいいたのかはわからないが、現在につながるものは一種類だけのようである。それは、今日の陸上動物の遺伝的な近似性からそう考えれている。

 一番最初のはっきりとした両生類は、3億6000万年前のデボン紀に登場したイクチオステガである。形はイモリに似ているが、全長1mと巨大である。まだ、魚に似たところもたくさん残している。最近では、イクチオステガよりも下の地層(つまり古い時代)からも両生類の化石が見つかっている。どちらかというと、シーラカンスなどの総鰓類に似ているようだ。


イクチオステガ(想像図)。7本指の仲間もいた。:アクアマリンふくしま
http://www.marine.fks.ed.jp/ikimonoshokai/sanshouo/seibutunosinka.htm
イクチオステガの骨格
http://www.palaeos.com/Vertebrates/
Units/150Tetrapoda/150.200.html#Ichthyostega

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e.爬虫類

 爬虫類は、古生代の石炭紀(3億5900万年前〜2億9900万年前)に登場し、中生代(2億5100万年前〜6550万年前)に大繁栄したが、中生代の終わりに大絶滅をする。それまで23目あったうち、現在生き残っているのは4目(トカゲやヘビなどの有鱗目(ゆうりんもく)、カメ目、ワニ目、喙頭目(かいとうもく、ムカシトカゲのみが現存))でしかない。なお、生物の分類上の“目(もく)”についてはこちらを参照。いわゆる爬虫類は、脊椎動物門爬虫綱に属する動物ということになる。

 恐竜は、厳密には鳥盤目と竜盤目に属する爬虫類を指す。恐竜はその名の通り、巨大なものも登場した。恐竜は中生代(2億5100万年前〜6550万年前)の三畳紀(2億5100万年前〜2億年前)に登場して、ジュラ紀(2億年前〜1億4600万年前)、白亜紀(1億4600万年前〜6550万年前)に繁栄し、6550万年前に絶滅する。

 この時代の爬虫類は、ほかに、イルカのような形をした魚竜目、四肢が櫂のようになった鰭竜目、翼で空を飛ぶことができた翼竜目などがあり、それらにも巨大なものがいた。

 魚竜のなかのイクチオサウルスは、イルカそっくりな形(ただし、尾は魚と同じく垂直)で最大で全長15mに達するという。巨大な目を持ち、魚を追って食べてたらしい。卵胎生で一生水中生活を送った。

 鰭竜目のなかに首長竜プレシオサウルスがいる。最大で全長12mにもなったという。4本の足は鰭状になり、中には首の長さが全長の1/4を占めるものもいた。1968年に当時高校生だった鈴木直氏が福島県いわき市に双葉層群という白亜紀(1億3500万年前〜6500万年前)末期の地層中から発見したフタバスズキリュウも、この首長竜の仲間である。まわりからはたくさんのサメの歯も発見されている。鰭竜目の中には首が長くなく、大きな頭を持つものもいた。

魚を追うイクチオサウルス
http://www.healthstones.com/
dinosaurdata/i/ichthyosaurus/ichthyosaurus.html
フタバスズキリュウ:いわき市石炭・化石館
http://www.sekitankasekikan.or.jp/html/ifutaba.html

 翼竜コウモリのような皮膜でできた翼を持っている。しかし、5本指で翼を支えるコウモリと違って、薬指だけが伸びてそれだけで翼を支えている。翼竜の中には毛や羽毛を持ったものもいた。恒温動物(温血動物)であった可能性もある。巨大なプテラノドンは翼開長が8mに達し、さらにケツァルコアトルスは翼開長が12m以上になったと推定されている。これは、空を飛ぶ動物としては史上最大のものである。現代の空を飛ぶ最大の鳥であるアホウドリやコンドルの翼開長が3.4m程度であることを考えると、その巨大さがわかる。プテラノドンはこちらも参照


プテラノドン
http://www.ucmp.berkeley.edu/museum/public/ingensmount.html

 爬虫類の中には、ほ乳類型爬虫類ともいわれる獣弓目(じゅうきゅうもく)というものもいた。恐竜が登場する数千万年前の古生代後期のペルム紀(二畳紀、2億9900万年前〜2億5100万年前)に登場し、中生代の三畳紀(2億5100万年前〜2億年前)の初期に栄えたが、後期には絶滅した。その名の通り、ほ乳類の祖先も含まれる。

 こうして中生代(2億5100万年前〜6550万年前)に地球のあらゆる場所で栄えた爬虫類は、そのごく一部を除いて6500万年前に絶滅した。このときに絶滅では、海で栄えたアンモナイトなども絶滅している。そればかりか、体重30kg以上の動物は死に絶えたともいう。

 脊椎動物の進化(3)の爬虫類から鳥類・ほ乳類への進化の概念図も参照。

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用語と補足説明

両生類両生類の卵は乾燥に耐える仕組みがない。だから卵は水中か水の近くに産む。両生類は幼生のうちは水中でエラ呼吸をしているが、成長すると変態して肺呼吸になる。中には変態をしないで一生エラ呼吸を続けるものもいる。皮膚には毛、羽毛、鱗はなく、湿っていてガス交換を行っている(皮膚呼吸)。心臓は魚の一心房一心室よりは少し複雑になって、二心房一心室である。心房は心臓の上の部分で静脈からの血液が入る。心室は心臓の下の部分で、血液を動脈に押し出す。

爬虫類卵は堅い殻で包まれて乾燥に耐えることができる。体もうろこで覆われていて乾燥から体を守ることができる。だから、水辺から離れた一生を送ることができる。心臓は二心房一心室であるが、ワニはほとんど二心房二心室といってもいい。両生類と同じく、体温は外部の熱源を利用して調節する。

ムカシトカゲ三畳紀(2億5100万年前〜2億万年前)からジュラ紀(2億年前〜1億4600万年前)に栄えた喙頭目(かいとうもく)の、唯一の生き残りがニュージーランドのみに生息するムカシトカゲである。最大で60cmに達するが、成長は遅く、代謝も遅い。体温も低い(11℃程度)。その代わり100年以上生きるという。

 このムカシトカゲの頭部中央の半透明なうろこの下には第3の目(頭頂眼、顱頂眼(ろちょうがん))がある(トカゲ類にも痕跡を持っているものもいる)。レンズや網膜はあるが、焦点調節機能はないといわれている。成体になると、皮膚の下に隠される。ものを見ることはできないが、光を感じることができるという。鳥類やほ乳類では脳の松果体となっている。

 「生きている化石」で、ニュージーランド政府が手厚く保護している。

ムカシトカゲ:セントルイス動物園
http://www.stlzoo.org/animals/abouttheanimals/reptiles/tuataras/tuatara.htm

松果体脳の一器官。鳥類までは頭骨のすぐ下にあって光を感じることができる。ほ乳類では脳の奥に入っていて光を感じることはできないが、日周のリズムを刻むのに関係しているという。

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恐竜恐竜の足は、現在の爬虫類が体の横から出ているのに対し、体の下に出ている。4本足歩行のモノも、2本足歩行のものもいるが、現在の爬虫類よりも運動能力に優れていることが想像される。

 恐竜の祖先は古生代のペルム紀(二畳紀、2億9900万年前〜2億5100万年前)の後期に登場する。その名のDinosaurは恐ろしいトカゲの意味である。中生代(2億5100万年前〜6550万年前)が恐竜の時代といっても、同じ種類の恐竜がずっと繁栄していたわけではない。1億8000万年間続いた中生代の中では、いろいろな種類の恐竜が登場し消えていったのである。しかし、その恐竜も6550万年前にはすっかり姿を消してしまう。

 恐竜を大きく分けると鳥盤目(恥骨が鳥のように後ろに伸びている)と竜盤目(恥骨は前に伸びている)になる。

 鳥盤目の恐竜はすべて草食性である。ステゴサウルス、アンキロサウルス、イグアノドン、ハドロサウルス(カモノハシ恐竜)、トリケラトプスなどがいる。

ステゴサウルス。約1億5000万年前のジュラ紀に繁栄した。尾の先の棘や背中の装甲は防御に。背中の装甲はまた体温調節やディスプレイにも用いられた。脳はゴルフボール大。腰に神経のふくらみ(第2の脳)がある。胴の長さ6m。
http://www.nmnh.si.edu/paleo/dino/stego1.htm
アンキロサウルス。白亜紀(1億4500万年前〜6550万年前)に栄えた。全長は最大で10m程度。背中が硬く防御に適する。尾の先には硬い瘤(こぶ)があって、尾を振りまわわすことによって襲ってくる相手を追い払った。
http://www.abc.net.au/dinosaurs/fact_files/volcanic/ankylosaurus.htm
イグアノドン。白亜紀(1億4500万年前〜6550万年前)に栄えた鳥盤目のなかでは大型の草食恐竜。
http://www.rkey41.freeserve.co.uk/iguan.html
角竜の一種、トリケラトプス。全長9m、体重6トン。白亜紀に栄えた。サイのような生活をしていたと思われる。
http://www.nmnh.si.edu/paleo/dino/tricera1.htm?111,51

 竜盤目には肉食のものいた。有名なティラノザウルスも竜盤目の一員である。大きな歯が並んだ強大な顎を持っていた。小型でもベロキラプトル(ディノニクス)は群れで狩りをしていたとも考えられている凶暴な肉食恐竜である。羽毛を持っていた可能性もある。大きく鋭い後ろ足の爪を立てて獲物に飛びかかり、その腹を裂いたらしい。竜盤目の中には巨大な草食恐竜もいた。ディプロドクスやブラキオサウルスなどである。これらより大きいというスーパーザウルス、ウルトラザウルスも報告されているが、骨格のごく一部でしか見つかっていないので、ディプロドクスやブラキオサウルスの仲間かもしれない。


ティラノザウルス(T-rex)。白亜紀に栄えた史上最大の肉食動物。尾を含んだ全長は14m、体高6m。写真はシカゴの自然史博物館に展示されている“スー”
http://www.fieldmuseum.org/SUE/about.asp
ティラノザウルスの復元図の変化。最近は上のように頭とをが水平にしている。下はかつての復元図。ゴジラのように尾を引きずりながら歩いている。実際には、足跡の化石は出てくるが、尾を引きずった跡はない。
http://www.amnh.org/exhibitions/expeditions/treasure_fossil/
Treasures/Tyrannosaurus/tyrannos.html?dinos
ベロキラプトルと近縁のディノニクス。足の指に注意。群れで獲物を襲う。非常に活動的だった。
http://www.cbv.ns.ca/marigold/history/dinosaurs/datafiles/deinonychus.html
ディプロドクス。全長27m。ムチのように自由にしなる尾でバランスをとり、また敵を追い払った。草食恐竜。史上最大というセイスモサウルス(地震竜)はディプロドクスの仲間らしい。
http://www.abc.net.au/dinosaurs/fact_files/scrub/diplodocus.htm
   
ブラキオサウルス、頭の高さは15m以上(5階建てのビル程度)。
http://www.abc.net.au/dinosaurs/fact_files/scrub/brachiosaurus.htm
ジュラ紀後期の約1億3000万年前の地層から出た羽毛恐竜の化石とその復元図。ベロキラプトルに近い仲間らしい。アメリカ自然史博物館
http://research.amnh.org/vertpaleo/dinobird.html

 恐竜のフィギアはこちらを参照

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恐竜の体温恐竜は、体の下に足が出ていて、軽快な動きを長時間続けることができたらしい。こうしたことは体温を調節する生理的な機能が備わっていないとできない。現在では鳥類とほ乳類がそれであり、爬虫類や両生類は体温調節がうまくできない(太陽光などの外部の熱源を利用して暖まり、日陰に入って体温を下げたりする)。こうした動物を変温動物(表現はよくないが冷血動物ともいう)という。しかし、恐竜は爬虫類でありながら、体の中の熱源も持つ(食糧を参加させたときに出る熱を利用して体温を上げ、発汗などで体温を下げる)恒温動物(温血動物)という説がある。

 心臓も二心房二心室だったらしい。心室から血液を送り出すときの血圧を考えると、心臓よりも遙かに高いところにある頭には高い血圧で送り出さなくてはならないが、一方肺にそんなに高い血圧で血液を送ったら、ガス交換するために薄くなっている肺が破けてしまうだろう。だから、二心房二心室の心臓を持っているということは、当たり前のことかもしれない。二心房二心室の心臓を持つものは、恒温動物である鳥類とほ乳類であり、同じ心臓の構造を持つ恐竜も恒温だった可能性は高い。

 そのほか捕食者(肉食)と被捕食者(草食)の割合が、肉食恐竜が恒温であった可能性が高いこと示しているとか(体温を維持するためにはたくさん食べなくてはならない、つまり一定の被捕食者の数の中で生活できる捕食者の割合は恒温である方が小さい←化石でそうした捕食者対被捕食者の割合がきちんと出るか?)、恐竜の骨にも、鳥類やほ乳類と同じ骨の中に血液を通すハバース管があるとか(←変温動物のカメにある)、羽毛恐竜(たぶん恒温)がいたなどの状況証拠はある。

 そもそも恐竜は体が大きいので、体温が下がりにくく、それだけでも恒温性を持っていたのかもしれない。

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恐竜の絶滅6500万年前に突然に絶滅したのか、それ以前から衰退が始まっていたのかはよくわからない。しかし、6500万年前に、その時代に生息していた恐竜がほぼ完全に絶滅したのは確かである。

 最近では、絶滅の原因として、いん石衝突説が広く支持されている。1980年にアメリカのアルバレスが、イタリアの中生代(2億4500万年前〜6500万年前)と新生代(6500万年前)の境界(白亜紀(Cretaceous)と第三紀(Tertiary)の境界なのでK−T境界という→現在はK/P境界(K/Pg境界)というようになってきた。)(の粘土層に、地球にはほとんど存在しないイリジウムという元素が濃縮されていることに気がついた。イリジウムは地殻・マントルにはほとんどない元素だが(に取り込まれてしまった元素)、いん石の中にはたくさん含んでいるものがある。さらにこの境界には超高圧でできる石英も発見され、ますますいん石の衝突があったらしいということになった。そして次のようなストーリーが考えられた。

 ※ 白亜紀はCretaceusだが、他に“C”で始まる紀(カンブリア紀(Cambrian period)や石炭紀(Carboniferous period))もあるので、ドイツ語の白亜紀(Kreid)の“K”を使っている。

 今から約6550万年前、直径10km程度のいん石が、メキシコのユカタン半島沖に激突した。この衝突のエネルギーは想像を絶するものがあった。まず、高さ10000m(10km)ほどの津波が発生し、大西洋に面した陸を洗い流す。ついで、衝突の際に砕け散った高温の破片が世界中で山火事を起こす。その後は煤や塵が大気を覆い、太陽光線を遮る。この結果、地球の気温は下がり、植物の光合成も阻害され、植物は枯れていく。そのために草食の動物は飢え、さらには肉食の動物も獲物がなくなり死んでいく。衝突したところが石灰岩地帯なので、衝突の衝撃で石灰岩が分解して二酸化炭素を発生し、その二酸化炭素の温室効果で今度は気温が2℃〜10℃ほど急上昇したという人もいる。また、大量に蒸発した海水が雨となって降るときに、大気中のイオウ酸化物や窒素酸化物などを溶かして強い酸性雨になったともいう。いずれにしても地球環境は激変し、この天変地異によって、恐竜だけではなく、海ではアンモナイトや有孔虫、さらに陸では裸子植物などの多くの生物が絶滅した。

 いん石の衝突はユカタン半島沖だけではなく、地球に衝突する前にそのいん石は二つに分裂して、片方はインド付近に落ちたという人もいる。また、インドのデカン高原をつくった溶岩を洪水のようにあふれさせた噴火は、この衝突のエネルギー(衝撃波)が引き起こしたものだという人もいる。あるいはデカン高原をつくった大規模な火山活動は、いん石の衝突とは関係がないが(スーパープルーム)、この噴火こそが恐竜絶滅の原因であるという人もいる。

 もっともこの程度の大きさのいん石が衝突しても、その質量はせいぜい地球の20億分の一程度である、つまり、体重が2mg〜3mgという蚊がバス(4トンくらいのマイクロバス程度の重さ)に衝突したようなものであるので、地球全体では小さな出来事である。とはいっても、地球の表面にすんでいる生物にとっては大事件だったのだ。

 また、確かにこのときに多くの生物は死に絶えたが、残ったものもいた。そして残ったものの中から現在の生物が誕生していくのである。そしてじつは、地質時代には生物の大絶滅は何回か起きている。このK-T境界よりも大規模な生物の絶滅は古生代と中生代の境界(P-T境界)の2億4500万年前にも起きている。そのときは、海生無脊椎動物の96%の種が絶滅したという。

  
海に激突した隕石はまず巨大な津波を発生させた。
http://web.ukonline.co.uk/a.buckley/dino.htm
中生代と新生代の境界層。右は隕石説衝突説提唱者アルバレス。
http://www.astrobio.net/news/modules.php?op=modload&name=News&file=article&sid=1243

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収斂進化(しゅうれんしんか):魚竜はイルカとそっくりな形をしている。これは水中で高速で運動するためには、体を流線型した方が都合がいい、その結果必然的に似た形になったと思われる。イルカは魚竜の子孫ではない。また翼竜の翼もコウモリや鳥に似ている。これも、飛行という目的に適した形に収斂進化した結果と考えられる。こうしたものを収斂進化(しゅうれんしんか)という。

 なお、ヒトの手、ゾウの前足、魚竜やイルカの鰭、鳥の羽などは形も機能も違うが、発生上の起源が同じなので、こうした関係を相同という。一方昆虫のはねと鳥は羽は似てはいるが、発生の仕組みがまったく違い、単に収斂進化の結果似ただけだけである。こうした関係を相似という。目に見られる相似については下を参照

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相似(目)タコやイカ(頭足類)の目、そして脊椎動物の目は、いわゆる「カメラ目」といわれている。全体は球形の眼球という形をしている。その入り口のレンズ(水晶体)で目に入る画像を網膜上に結び、その光の刺激を脳に伝えている。こうした構造は非常に似ているがその発生を見てみると、脊椎動物の目の起源は脳、頭足類の目の起源は皮膚であり、ものを見るという同じ機能を担うために結果として同じ構造になった相似の器官といえる。

 


THE TORTOISEの中の「陸上生物の知覚」より
http://www001.upp.so-net.ne.jp/tortoise/wagayanokamechan_026.htm

 また、ほ乳類をのぞく他の脊椎動物(魚類、両生類、爬虫類、鳥類)、あるいは昆虫、イカ・タコの仲間は色を見分けることができる。だから、爬虫類の仲間である恐竜は色を見分けることができた。化石からは体の色はわからないが、派手な色で模様があった可能性もある。ところが霊長類をのぞくほ乳類だけは色を見分けることが苦手である。

 ほ乳類は中生代の遅くともジュラ紀(2億500万年前〜1億3500万年前)にはすでにいたが、その時代は恐竜をはじめとする爬虫類が栄えていた。そこで、当時のほ乳類は夜活動する夜行性というライフスタイルをとらざるを得なかった。夜ではどのみち色を見分けることができない。こうして、色を見分ける能力を失ったと考えられている。だが新生代(6500万年前〜現在)に入って昼間活動するほ乳類が登場しても、それらは相変わらず色を見分けることが苦手であった。ウシやウマ、あるいはペットであるイヌやネコも色を見分けることが苦手である。

 だが、樹上生活をする霊長類(正確には霊長目)は、その大切な食糧である果物の熟れ具合を見分けるために、色を見分ける能力があった方が都合がよい。そこで再び色を見分けることができるようになってきた。霊長類の一員であるわれわれヒトも、色を見分けることができる。

 これを進化系統樹で見てみると下のようになる。目には色を感じる視物質(色を感じるタンパク質)と明暗だけを感じる視物質(ロドプシン)がある。もともとは紫色を感じることができる視物質から、青や緑を見ることが感じることができるタンパク質が別れてきた。魚類は、紫色、青色、緑色、そして赤色を感じる視物質を持っている。しかし、多くのほ乳類は青と緑色を感じる視物質を失っている。だから、色を見分けることが苦手なのだ。だが、霊長類になると、今度は赤を感じる視物質から緑を感じる視物質が別れてでき、再び色を見分けることができるようになった。

 しかし、魚類から爬虫類・鳥類の緑を感じる視物質はもともとは紫を感じる視物質から分化したもの、それに対しヒトを含めた霊長類の緑を感じる視物質は赤を感じる視物質から分化したものであり、二つの起源は異なっている。だが、結果として色を見分けるという機能は一致している。だからこれも相似という関係である。

 細かいことをいうと、霊長類の緑を感じる視物質が反応する波長は、他の動物の緑を感じる視物質が反応する波長とは少し異なっていることもわかる。なお、下の図の数値は視物質が一番反応する光の波長である。またnmはナノメートルと読み、1nmは10-9mである。また、可視光線の波長と、それらをヒトがどのような色としてみているかは、「第一部−2−宇宙の科学 第5章 恒星 4.恒星のスペクトル」を参照。

 なお、下の図では視物質の感じる波長を紫、青、緑、赤と色で表記したが、動物によってはその最大感度の波長が少し異なるもの(ヒトにとっては紫外領域に感受性のピークを持つ)があるので、一般的には短波長(紫外〜紫)、中波長(青と緑)、長波長(赤)とした方がいいかもしれない。


「宇宙と生命の起源」(岩波ジュニア新書、2004年7月)p.199の図から作成

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このページの参考になるサイト

岐阜大学教育学部地学教室全地球史:http://chigaku.ed.gifu-u.ac.jp/chigakuhp/e-history/html_/eh/index.html

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