第3章 人類の起源と進化(1)
目次 | |
1. | ヒト(人類)の誕生 |
2. | ヒト(人類)の進化と拡散 |
用語と補足説明 | |
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ヒト(人類)の祖先が、チンパンジー・ボノボの祖先と別れたのは600万年前〜700万年前くらいらしい。では、ヒトとは何か。これも生命とは何かと同じく難しい問いである。脳が発達して道具を使うことができる(チンパンジーやオランウータンも道具を使う)、複雑な言語体系がある、火を使用するなどのほか、他の類人猿にはみられない大きな特徴は、直立二本足歩行をすることであろう。犬歯が発達していないという特徴もある。
ゴリラのヒトの歩行姿勢の違い:国立科学博物館
http://www.kahaku.go.jp/special/past/pithe/pithekan/umare/umare-f.html
どうしてサルから別れたのかもよくわからないが、アフリカの乾燥化に伴い、森林の縮小、サバンナの拡大ということが背景にあるのであろう。すなわち、森林生活からサバンナでの生活へと、生活環境を変えざるを得なかったのかもしれない。
360万年前のタンザニアのラエトリ遺跡には二本足歩行のはっきりとした足跡の化石が残っている。当時はまだ脳の容量もチンパンジー程度、長い腕と短い足といったチンパンジー的な特徴も持っていた。大きさも110cm〜140cmとチンパンジーなみである。それより以前、450万年前〜430万年前のラミダス猿人がすでに2本足歩行していたという。ヒトへの分岐年代の見積もり法と、その結果については第4章進化も参照。
ヒト(人類)への道:国立科学博物館
http://www.kahaku.go.jp/special/past/japanese/ipix/1/1-02.html
大きな流れは、猿人(アウストラロピテクス)→原人(ホモ・エレクトス)→旧人(ホモ・ネアンデルターレンシスなど)→新人(ホモ・サピエンス)であろう。
人類の進化:国立科学博物館
http://www.kahaku.go.jp/special/past/pithe/pithekan/sison/sison-f.html
だが、化石人類にはいろいろな種類がある。それらのほとんどは、現生人類にはつながらない、子孫を残さずに絶滅してしまった種のようである。不思議なことに、こうした様々な人類はアフリカで誕生して、世界に散らばっていったらしい。なぜアフリカだけが、新しい人類発祥の地になるのかはわからない。ジャワ原人、北京原人などはアフリカに起源を持ち、アジアに進出して絶滅したホモ・エレクトスの一種で、彼らが現在のインドネシア人、中国人の祖先というわけではない。
ヒトの進化:国立科学博物館
http://www.kahaku.go.jp/special/past/japanese/ipix/1/1-07.html
アウストラロピテクスは、脳の容量は現在の人類の1/3程度、身長も110cm〜150cmとチンパンジーなみである。後期のアウストラロピテクスは常時かどうかはわからないが、2本足歩行ができたことは、ラエトリ遺跡の足跡化石などから確実である。有名なルーシーもアウストラロピテクスの一種に属する。
最初のホモ属がいつころ登場したかもよくわからない。どの人類化石をホモ属と認定するかにもかかっている。ホモ・ハビリスが確かにホモ属だとすると、200万年以上前にはホモ属がいたことになる。
ホモ・エレクトスは180万年前ころに登場する。これが真正のホモ属である。その起源はよくわからないが、ルーシーがその一員であったアウストラロピテクス・アファレンシスから出てきたという説が強い。ホモ・エレクトスになってはじめて人類はアフリカを出て(第1回目の出アフリカ)、アジアでも繁栄した。上に書いたジャワ原人や北京原人たちである。ジャワ原人はほんの数万年前まで生存していたという説もある。一方ヨーロッパのエレクトスは、ホモ・ハイデルベルゲンシスとなる。初期のホモ・エレクトスの脳容量は750mL〜800mL程度であるが、後期には1100mL〜1200mLにまで大きくなっている。
旧人は、現在の人類ではないが、ホモ・エレクトスよりは進化している化石人類である。ホモ・ハイデルベルゲンシス、ホモ・ネアンデルターレンシス(ネアンデルタール人)などが属する。ホモ・ネアンデルターレンシスは、数万年前までは生存していた地域がある。その場所では、現生人類(新人、ホモ・サピエンス)も同時にいた可能性が高い。二つの人類の関係、友好関係か敵対関係か、または完全に無視し合っていたのかかはわからない。
現在のホモ・サピエンスも10万年ほど前にアフリカで誕生して、世界中に広がっていったようである(第2の出アフリカ)。つまり、現在の人類はアフリカに起源を持つ単一種ということになる。ヨーロッパ人が「発見する」よりも前、ホモ・サピエンスは南アメリカの南端、太平洋の島々を発見して、そこに住み着いていた。
世界中に広がっていくホモ・サピエンス:国立科学博物館
http://www.kahaku.go.jp/special/past/japanese/ipix/1/1-14.html#
ホモ:ホモとは人類のことである。ホモ・エレクトスは「直立(2本足歩行)するヒト」、「ホモ・サピエンス」は考えるヒトという意味である。
ルーシー:アウストラロピテクスにはいろいろな種類がいる。その中のアウストラロピテクス・アファレンシス(アファール猿人)という種に属するものである保存状態の良い骨格が1974年に見つかった。たまたま発掘作業中にビートルズのルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ザ・ダイヤモンドという音楽を流していたときだったので、ルーシーと名付けられた。約320万年前の化石である。
ルーシー
http://library.thinkquest.org/26070/data/eng/2/4.html
ホモ・ハビリス:リーキーによって発見された化石人類。器用なヒトの意味。230万年前から180万年前ころアフリカにいた。アウストラロピテクス(猿人)と、ホモ・エレクトス(原人)の中間的な位置にあると思われている。石器をつくっていたらしい。脳容積が500mL〜700mLとアウストラロピテクスより少し大きい。
リーキー一家:ルイス・S・Bリーキー(英、1903年〜1972年、ケニア生まれ、ケンブリッジ大学卒)は(2番目の)妻メアリー・D・リーキー(英、1913年〜1996年)と共に、タンザニアのオルドバイ峡谷で人類化石の発掘を続けた。その成果の一つが、1960年のホモ・ハビリスの発見である。メアリーはさらに、1975年にタンザニアのラエトリ遺跡で、アウトラロピテクス(アウストラロピテクス・アファレンシス)が2本足歩行した証拠である足跡も発見している。また、息子のリチャード・リーキー(1944年〜、高校を中退し正規の大学教育は受けていない、現地のサファリ・ガイドなどを経て人類学の道に入る)も父と同じように二番目の妻ミーヴの助けもあり、またミーヴ自身もいろいろな成果をあげている。さらにリチャード&ミーヴの娘ルイーズ(1972年〜、ロンドン大学で古生物を専攻)も加わった。
ルイス、リチャード父子は猪突猛進型、直感に頼りすぎていて科学的厳密性が足りないという評価があるが、彼らを含めて一家の情熱がこれまでの成果を生んだことは間違いないだろう。
なお、ルイスは若い女性(当時)3人を類人猿研究の道に誘い込んだという。彼女たちはジェーン・グドール(英、1934年〜、チンパンジー)、ダイアン・フォッシー(1933年〜1985年(密猟者に殺された?、現地の人たちよりもゴリラを愛し、現地の人に辛く当たることも多く、現地の人たちの恨みを買っていたという評判もある)、ゴリラ)、ビルーデ・ガルディカス(オランウータン)である。
オルドバイ峡谷:アフリカのタンザニアの北部、大地溝帯の中にある峡谷。断崖に200万年前から数十万年前の堆積層が露出し、様々な人類化石・遺跡が出るので有名な場所。
イヴ:細胞内のミトコンドリアは母方からしか受け継がれない。そこで、ミトコンドリア(の突然変異を解析する手法)を使うと、どの系統とどの系統が近いか、またいつころ分岐したか、そしてさらに母方の祖先を追うことができる。それによると、現生人類の祖先は、約16万年前(14万年〜29万年前)にアフリカに住んでいたらいいことがわかった(イヴ仮説)。この人類共通の祖先はイヴ(ミトコンドリア・イヴ)と名付けられた。もちろん、当時たった一人のイヴという女性だけがいたのではない。
アフリカ単一起源説:かつて、人類はそれぞれの地域で進化してきたと思われていた。例えば北京原人が中国人に、ネアンデルタール人がヨーロッパ人にという具合である。これを他地域起源説という。しかし、イブのところで書いたように、現在では現在の人類はすべてアフリカ起源で、アフリカを脱出したホモ・サピエンスが世界各地に散って、今日の様々な人種になったと考えられるようになった。これをアフリカ単一起源説という。見かけ上かなり異なるように見える現在の「人種」も、生物的には単一のホモ・サピエンスというものになる。他の化石人類は絶滅したという考えでもある。
かつて考えられていた多地域起源説:国立科学博物館 http://www.kahaku.go.jp/special/past/japanese/ipix/1/1-08.html |
現在の主流のアフリカ単一起源説:国立科学博物館 http://www.kahaku.go.jp/special/past/japanese/ipix/1/1-08.html |
ネアンデルタール人:ドイツのネアンデル谷(タール)で最初に見つかった化石人類。ヨーロッパから中近東にかけて生活していた。脳の容量は1400mL〜1600mL、最大で1700mLに達する(ホモ・サピエンスは1400mL程度)。ただし、精神生活を司るという前頭葉の発達は悪い。喉(のど)の構造からも複雑な音声は出せなかった、つまり複雑な言語体系はなかっただろうといわれている。一方、高度な道具を製作したり、火の使用もできた。死者を埋葬したりもした(花を手向けたかどうかについては議論がある)。30万年前ころに登場し、ホモ・サピエンスがすでにいた3万年前ころまでは生存していた。こうしたことからも、ホモ・サピエンスの祖先ではないことがわかる。
ふつうは、ホモ・ネアンデルターレンシスと分類されるが、われわれ(ホモ・サピエンス)との差はごく小さいので、ホモ・サピエンス・ネアンデルターレンシスとし、われわれ現生人類をホモ・サピエンス・サピエンス(考えに考え抜くヒト?)とする人もいる。実際、現生人類との見かけ上の差も小さく、われわれと同じような服を着ていれば、見分けがつかないほどだろうともいわれている。眼(眼窩)の上の出っ張りがある、顎(あご)におとがいがないなどが見分ける特徴となろう。
現在のヒトの生物学上の分類では、真核生物ドメイン動物界脊椎動物門ほ乳綱霊長目ヒト科ホモ(ヒト)属サピエンス種ということになる。
ネアンデルタール人については、「ネアンデルタール人のなぞ」「ネアンデルタール人の正体」も参照。
2010年5月、アメリカの科学雑誌サイエンスに、現生人類(ヒト)とネアンデルタール人は交雑し、ネアンデルタール人の遺伝子は、アフリカ以外(フランス・中国・パプアニューギニア)の現生人類にも1〜5%残っているという報告が出た。アフリカを出た初期のヒトが、中近東でネアンデルタール人と出会って交雑し、その後各地に散らばっていったらしい。
朝日新聞2010年5月7日 | ネアンデルタール人の分布 http://www.sciencemag.org/special/neandertal/feature/index.html |
ジャワ原人:ジャワ原人の末裔かもしれない化石が、インドネシアのバリ島の東、コモドオオトカゲで有名な小島コモド島の東となりのフロレンス島で、2003年に発見された。身長1m程度、頭の大きさはわれわれの1/3程度(グレープフルーツなみ)という小さな人類化石であった。1万8000年前に生存してたという。当然、この地域にはすでにホモ・サピエンスも進出していただろうから、一時は共存していたことになる。彼らは1万3000年前の火山噴火により絶滅したという。
このように小さくなってしまったのは、島で孤立して起こる「島嶼矮小化(とうしょわいしょうか)」のためだといわれている。例えば、日本でも屋久島には、本土のものと同じ種類だが、かなり小さいサルやシカが住んでいる。
彼らにはホモ・フロレシエンシス(あだ名はホビット)という名が与えられた。
左がホモ・フロレシエンシス、右がホモ・サピエンス(現生人類)
http://news.nationalgeographic.com/news/2004/10/photogalleries/homo_floresiensis_1/
ホモ・フロレシエンシスの人類史上の位置 http://www.nature.com/news/specials/flores/index.html |
ホモ・フロレシエンシスの身長と脳の大きさ http://www.nature.com/news/specials/flores/index.html |
日本人はるかなる旅展(国立科学博物館):http://www.kahaku.go.jp/special/past/japanese/ipix/index.html