第二部−2− 地球の科学

第9章 火成岩(2)

目次
2. マグマの分化
用語と補足説明
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2.マグマの分化

 マントル上部で発生するマグマは、そのまま固まると玄武岩(はんれい岩)になる組成、いわゆる玄武岩室質グマである。ではなぜ、玄武岩室マグマから様々な組成を持つ火成岩ができるのであろう。これを初めて実験的に、また理論的に解明したのはボウエン(1887〜1956年、カナダ)であった。

 ボウエンは、玄武岩質マグマから、晶出温度が高い鉱物から結晶を始め、それが沈殿することによって、またさらに残液と晶出した結晶が反応することによって、残液の組成も変わり、その組成が変わったマグマから別の鉱物が晶出する、こうして様々な組成を持ったマグマ、そして火成岩ができることを明らかにした。こうした一連の過程をマグマの分化という。

 

  具体的には、マントル上部のかんらん岩が部分溶融してまず玄武岩質マグマが発生し、その玄武岩質マグマが冷える過程で分化して様々な火成岩を作っていくわけである。下の図に沿って細かく見ていく。まず、最初の玄武岩質マグマから晶出するのは、有色鉱物のかんらん石と無色鉱物のカルシウム(Ca)に富む斜長石である。これがこのまま固まれば玄武岩(はんれい岩)になる。なぜ、Caに富む斜長石が早く晶出してくるのかはこちらを参照。晶出したかんらん石やCaに富む斜長石が沈殿したり、また残液と反応して再び融けることによって、残った残液(マグマ)は安山岩質のものになり、晶出する鉱物も、有色鉱物としては輝石角閃石、無色鉱物としてはCaの割合が少し減り、ナトリウム(Na)の割合が増えてきた斜長石となる。このようなマグマがそのまま固まれば安山岩(閃緑岩)になる。さらに反応が進み、マグマはデイサイト質から流紋岩質へと変化し、晶出する有色鉱物は黒雲母、無色鉱物はますますNaに富んだ斜長石、さらにはカリ長石や石英も晶出する。こうしてデイサイト、流紋岩や花こう岩ができる。

 このように、固溶体を作る斜長石の系列は最初はCaに富んだものから、最後はNaに富んだものまでが連続的に晶出する。斜長石のように固溶体を作らない有色鉱物のかんらん石、輝石、角閃石、黒雲母、また無色鉱物の石英もあるところで突然に晶出を始めるのである。

 1707年の富士山の宝永火口からの噴火では、最初に白っぽい火山灰軽石が吹き出て、ついでそれが黒っぽいもの(火山灰やスコリア)に変化してきたことは、マグマだまり中でマグマが分化していたため、上の方の流紋岩質マグマがデイサイトから流紋岩質の火山灰を吹き上げたことを示しており、噴火によってマグマだまり全体がかき混ぜられたか、あるいは新しいマグマが供給されてマグマが「若返り」、黒っぽい玄武岩質の火山灰やスコリアになったことを示す。

 マグマの分化を示す有名な岩体が、グリーンランド東部のスケアガード(スケルガード)にある。この岩体は堆積岩の地層のような見事な縞模様をしているが、その縞はマグマの分化によってできたのである。

 一般に、若いころは玄武岩質のマグマを噴出する火山でも、その末期においては爆発的な噴火をするようになる。これは地下のマグマだまりの中でのマグマの分化がすすみ、だんだんと粘りけが強い流紋岩質のマグマになっていることを示す。もちろん、新しいマグマが供給されてマグマだまりのマグマが再び若返ることもある。

 火山の噴火の様式や火山の形についてはこちらこちらを参照。

 こうした玄武岩質マグマから、様々な火成岩がマグマの分化によってできることは説明される。しかし、こうした玄武岩質マグマの分化によって花こう岩の量は最初の玄武岩質マグマの5%程度でしかない。実際には、地球上には大量の花こう岩が存在している。つまり、単純な玄武岩質マグマからの分化だけでは、花こう岩の成因の説明ができない。だから最近では、こうしたマントル上部(すなわちかんらん岩)に起源を持つマグマばかりではなく、こちらでも書いたとおり上昇するマグマが地殻下部の岩石を融かして混ざり、デイサイト質、安山岩質のマグマが発生しているらしい。さらに花こう岩については、変成岩起源のものもあるといわれている。

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用語と補足説明

ボウエンマグマの分化をきちんと実験的に研究し、物理・化学的な理論を組み立てた最初の人はボウエン(N.L.Bowen、1887〜1956年、カナダ)である。彼以前の岩石学は、いろいろな岩石を集めて分類すること(記載岩石学)がおもであった。ボウエンによって始めて実験岩石学、さらには理論岩石学という近代的な岩石学が登場したことになる。

 しかし、日本ではなかなかボウエンの仕事を受け入れることができない学者もいて、ボウエンの仕事を評価する学者をテレスコープ(望遠鏡=ボウエン狂)とからかったりした(「地質時代には物理・化学の法則は通用しない」と豪語した勇ましい地質学者もいたらしい、こうした事情は「科学革命とは何か」(都城秋穂、岩波書店、1998年、p.274〜275に詳しい)。

カナダのオンタリオにあるクイーンズ大学を卒業したときのボウエン 1949年のボウエン
http://vgp.agu.org/bowen_paper/bowen_paper.html

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