第二部−2− 地球の科学

第10章 堆積岩と地層(2)

目次
1. 風化・侵食・運搬・堆積(2)
b. 侵食・運搬・堆積
b−1 侵食・運搬・堆積
b−2 侵食・運搬・堆積による地形
用語と補足説明
この章の参考になるサイト

b.侵食・運搬・堆積

b−1 侵食・運搬・堆積

 流水により、岩石が細かく砕かれたり、さらに砕かれた岩石がさらに細かく砕かれたり、また角が取れていく。こうしてできたれき・砂・泥はより下流へと流水で運ばれる。運ばれる過程でぶつかった岩石を砕いたり、また自分自身も細かくなっていく。こうした過程・作用が、侵食・運搬である。

 れき・砂・泥は粒子の大きさによって決められた名である。2mm以上がれき、2mm〜1/16mmが砂、1/16mm以下が泥である。泥をさらにわけて1/16mm〜1/256mmをシルト、1/256mm以下を泥(粘土)とすることもある。

 流速と、侵食・運搬が行われるれき・砂・泥の大きさの関係が下の図である。大きなものほど流れが速くないと運ばれない。つまり、流れが遅くなるとすぐに堆積する。しかし、いったん堆積し水底で静止していているものは、大きいと動きにくいのは当たり前だが、小さいもの(泥の粒子)も動きにくいことがわかる。砂程度の大きさのものが一番動きやすい。しかし、いったん動き出すと泥が一番堆積しにくい。このような過程で、同じ大きさの粒子は同じ場所に集まるようになる。

 侵食力や運搬力は、流量や流速にきわめて敏感である。洪水の時に一気に侵食・運搬が行われるといっても過言ではないほどである。実際、ふだんの流れからは想像できなく大きさの巨岩が河原に存在している。

 こうした巨岩を運ぶのが土石流である。土石流は集中豪雨や台風など大雨によって、大量の水が土砂を取り込みながら、一気に流れ下るものである。こうした土石流の映像はこちらのサイトで見ることができる。なお、崖崩れや地滑りについてはこちらを参照

砂防広報センター
http://www.sabopc.or.jp/hukudoku/dosekiryu.htm

 流れが海に入ると、なかなか堆積しない細かい粘土粒子が、塩分の働きで凝集して堆積が行われることもある。

 また、いったん海岸近くで堆積した堆積物が、洪水や地震が大規模な海底での地滑りを引き起こして、海水と土砂が混じった流れ(混濁流((乱泥流))としてはるか遠くまで流れていくことがある。その過程で海底を侵食したり、末端では堆積が行われる。実際、静岡県の富士川河口の土砂が、このような混濁流となって南海トラフの底を流れてはるか800km離れた四国沖まで達している。混濁流によって運ばれた堆積物による地層は、級化層理を形成する。

戻る  このページのトップへ  目次へ  home

b−2 侵食・運搬・堆積による地形

 川は上流ほど急で、下流に行くとなだらかになるのがふつうである。最終的には侵食(とくに下方への)と堆積がほとんど起きずにもっぱら運搬だけが行われるようなものになる。こうした河川を平衡河川といい、上流から下流になめらかな曲線になっている。そしてさらに最終的には侵食基準面(ふつうは海水面)まで削られていくことになる。

 川の上流では下方侵食により、断面がV字型をしたV字谷(ヴイじこく)が発達する。

 川の流れが速く川底が岩盤だと、割れ目などのくぼみに運ばれてきたれき(石)がつかえ、そのれき(石)が川の流れによってらせん状に動き、それが研磨剤の役目を果たして丸いくぼみになることがある。これをポットホール(pothole、甌穴)という。

西表島浦内川軍艦岩付近で見られるポットホール。“研磨剤”のれきも見える。直径50cmくらい。このあたりにはたくさんのポットホールが見られる。沸きにおいたキーホルダーに注意。2006年12月26日撮影。 山梨県西沢渓谷見られる横に掘られたポットホール。2007年5月16日撮影。

 川が山地から盆地や平地に出たところでは、山地から平地に出たところを扇の要にした扇状の地形、すなわち扇状地が発達する。本来の川は洪水のたびごとに流路を変えて扇状地を作ったわけだが、人が住宅地や耕地として利用するようになるとそれでは困るので、堤防を築いて流路を固定することになる。こうした河川は流路に堆積する土砂のために川底が上がって、極端な場合はまわりよりも川底の方が高くなってしまった“天井川”になったりする。扇状地を構成する土砂は比較的粒子が粗いので、ふだん(洪水時以外)は川は伏流となり、末端で泉として再び地表に出てくることも多い。

多摩川が作った扇状地。カシミール3Dに、無償で公開されているJAXAのだいち1号(ALOS-1)の30mメッシュ地形データを読ませて作製。だいち1号のデータについてはこちら 左の図に扇状地の範囲や地名を加えた図。現在の多摩川は多摩川が作った扇状地の南端を流れている。

 平地に出た河川は蛇行をするようになる。蛇行がひどくなると屈曲部分が連結して、取り残されたところが三日月湖になる。また洪水時にふだんの狭い流路からあふれ出た水は急速に流速を落とすので、そこで土砂を堆積する。こうした川の両側が自然に高くなる。これが自然堤防である。いったん自然堤防ができると水はけが悪くなり、後背湿地つくることもある。日本の平野はこうした河川の働きでできた、洪水の時に運ばれた土砂が堆積した沖積平野である。本来は洪水のたびに水をかぶり、また流路も変わることがある氾濫源でもある。もちろん現在では堤防で流路を固定している。あるいは利根川みたいに、人間が流路を変えてしまったものもある。利根川は江戸時代までは東京湾(江戸湾)に注いでいたのだが、江戸時代に流路を付け替えて銚子が河口になった。関東農政局参照。

 海や大きな湖に達した川は流速がきわめて遅くなるので、そこでここまで運んできた土砂を堆積する。これが三角州である。ナイル川の河口で典型的に見られるような三角形(ギリシャ文字のΔ(デルタ))の沖積地を作ることが多いのでこの名がついたが、鳥の足状にだんだんと沖に沖積地が伸びていくこともある。

 河岸段丘や海岸段丘という、川や海岸で見られる階段状の地形もある。河岸段丘はいったん広がった河原が、土地の隆起や海水面の低下により、河川の下方侵食が再度強まってできる地形である。海岸段丘も同じで、土地の隆起や海水面の低下により、波の侵食できた海食台が何段にもなったものである。

相模川津久井湖付近の河岸段丘。段丘面に住宅地や農地が広がっている。2005年1月撮影。

戻る  このページのトップへ  目次へ  home


用語と補足説明

侵食学術用語集(地学編、地理学編)ではerosionは「侵食」で、「浸食」は一切使われていない。「浸食」は水がからむもので、「侵食」はより一般的な作用をさすという説明がなされることがあるが、これはいわば方便で、実際には同じ意味だと思う。このホームページでは学術用語集に従い「侵食」という語(漢字)を使うことにする。オンライン学術用語集を参照。
http://sciterm.nii.ac.jp/cgi-bin/reference.cgi

風・氷河による侵食・運搬・堆積日本では流水の働きが大きいが、砂漠など乾燥した地域では風、また氷河があればその働きで侵食・運搬・堆積が行われる。

氷河氷河は、降り積もった雪が自分自身の重さで氷となり、固体である氷のまま下へと流れ下るものである。面状に大陸を覆っているものを大陸氷河(南極やグリーンランドなど)、谷を埋めているものを谷氷河(ヒマラヤやアルプスなど)という。固体であるので、流速はきわめて遅い(年間で数メートル程度)。しかし、侵食力は強い。谷であれば下方・側方を同時に削ってU字谷をつくる。また、上端ではカール(圏谷)という、お椀を半分に割ったような地形をつくる。末端では運搬してきた土砂を堆積しモレーン(堆石)をつくる。氷河が後退すると、氷河の底から流れ出た水がモレーンにせき止められて氷河湖をつくる。ノルウェーのU字谷やフィヨルドの写真は「旅行」のページの<ノルウェー>、氷河の写真は<アイスランド>を参照。

 かつての寒冷な時代(氷期)には、日本アルプスや北海道の高い山々にも氷河が発達し、上に書いたような氷河地形を現在にも残している。カール、U字谷、モレーン(堆石)は下の写真を参照。

北アルプス薬師岳の東面に見られるカール群。南北に走る北アルプスでは、冬の北西の季節風のため、風下側の東側に雪がたまりやすく、東側に氷河ができやすい。1984年7月撮影。

北アルプス槍ヶ岳に見られるカールとU字谷。 左の拡大。カールが2つ見える。右のカール(槍ヶ岳左下)はU字谷につながっている。 北アルプス穂高連峰と槍ヶ岳の間の大キレットの見事なカール。
2007年7月31と8月1日に撮影。
南アルプス仙丈ヶ岳に残るカール地形。2009年8月24日撮影。 上から見た仙丈ヶ岳藪沢カール(左の写真の右の方のカール)。2009年8月25日撮影。
仙丈ヶ岳藪沢カール底のモレーン(堆石)。弓なりに堤防のようになっている。2009年8月25日撮影。 横から見た藪沢カール。モレーン(堆石)の様子がよくわかる。高さ5m程度。2009年8月25日撮影。

戻る  このページのトップへ  目次へ  home

崖崩れ・地滑り大雨や地震により崖崩れが起きたり、地滑りが起きたりすることもある。砂防広報センターの崖崩れ地滑りのページを参照。

戻る  このページのトップへ  目次へ  home

多摩川の河岸段丘とローム層東京を流れる多摩川には4段の段丘がある。そしてそれぞれを何枚かのローム層がおおっている。このローム層は箱根や富士山の噴火による火山灰が風(偏西風)に乗って関東地方に運ばれ、ここで堆積してできたものである。そして、第4紀(165万年前〜現在、ただし第4紀という区分はなくなりそうである。このことはこちらを参照)の4回の氷期に海水面が低下したため、下の図のように4段の段丘ができたのである。下の図からもわかるように多摩ローム層と多摩面が一番古く、立川ローム層を立川面が一番新しい。実際には現在の多摩川は、多摩川が作った巨大な扇状地の南端を流れているので、河岸段丘が発達しているのは多摩川の左岸(下流に向かって左側)である。

 日本の各河川や海岸には、このように氷期に対応した河岸段丘や海岸段丘が多く見られる。

戻る  このページのトップへ  目次へ  home