人類初の南極観測船ベルジカ号の記録  

人類初の南極観測船ベルジカ号の記録 ジュリアン・サンクトン 越智正子訳 パンローリング ISBN978-4-7759-4281-9 2,000円+税 2023年1月

 1897年8月〜1899年11月のベルギーの南極探検隊(名目は科学調査)、そのうちの1898年2月〜1899年3月の13ヶ月間、南アメリカの遙か南の南極海の氷に閉じ込められたベルジカ号の越冬記録。ベルギーの探検隊とはいえ、隊長ジェルラッシュ(ベルギー)、船長ルアント(ベルギー)、船医・民族学・写真のクック(アメリカ)、一等航海士アムンゼン(この本ではアムンセン、ノルウェー、航海士としての公的資格は持っていない)と初めから多国籍。途中で解雇したりする船員もいて、最終的には19人で南極に向かう。

 この探検の一番の目的は南磁極(仮想的な双極子の極である地磁気南極ではない本当の磁極)の位置確認だったそうだ。この当時の重要課題だったらしい。

 ナンセンのフラム号(後のアムンゼンの南極探検にも使われる)による北極海漂流(1893年〜1896年)の経験の共有もまだ不十分な時代。このベルギー隊の越冬も、肉体的にも精神的にも大変だった。南極海への途中と南極海でそれぞれ一人が死亡。南極海に閉じ込められたときは実際精神の不調を来したものも出たほど過酷なもの。

※ 1957年に始まる日本の南極越冬観測での死者は1人。

 以前の北極探検にも参加して、イヌイットとの交流で彼らのサバイバル技術(ビタミンC欠乏による壊血病対策としての生肉食とかイグルーの作り方とか)を学んでいたクック、この探検に参加して極寒環境での対応を学んだアムンゼン。探検隊が生還できたものクックの独創的アイデア(氷に運河を作るとか)によるところが大きい。
 この本の最後の章では、この探検後の行動でペテン師のレッテルを貼られたクックに焦点を当てる。のちの彼が主張する北極点初到達、マッキンレー山(現在はデナリ)初登頂とかの怪しさ、詐欺師として有罪・収監された油田開発とか。それは、彼とマスコミと大衆が作った虚像によって、本人自身が束縛されて支配されてしまった(疎外された)結果ともいえる。

 アムンゼンや、隊長ジェルラッシュのその後にも簡単に触れられている。アムンゼンの南極点到達以後のそのように感じる。この本では優柔不断なところが多いと描かれたジェルラッシュもそうだ。みな冒険の経験で、「畳の上で死ぬ」ことができなくなってしまったようだ。ペテン師の烙印を押され、監獄に収容されたクックに会いに行ったこともあるアムンゼンは、共通点を見いだしているのだろう。さらに南極海越冬時にクックの才能を目の当たりにして、終生彼を尊敬していたようだ。

※ 自分とマスコミが作った虚像に支配されてしまったという点では、植村直己さんにも共通なのだろうか。

 ノルウェーの著名な探検家たち、ナンセン、アムンゼン、ヘイエルダールの中で、ノルウェーで一番尊敬されているのはナンセンだという。探検後の晩節を汚さずに、政治家として転身し、ノーベル平和賞も受賞している。彼のフラム号はそのまま保存・公開されている。船長室(ナンセンの部屋、たぶんアムンゼンの部屋でもある)の狭さにびっくりした。ベルジカ号の隊長室はすごく広く立派そうだ。

※ 口絵の船の見取り図は小さくてよく見えない。

 あと、探検による船の使い回しも興味深い。中古で買って名前だけ付け直すとか。ベルジカ号ももと捕鯨船パトリア号(336トン)。 さらにジェルラッシュが南極探検後に、富裕層向けホッキョクグマ狩り用に新造したポラリス号が、そのまま転売されてあのエンデュアランス号にとか。ナンセンが新造したフラム号は、そのままの名でアムンゼンは南極に向かったようだ。

※ エンデュアランス号の話はこちら。
https://www.s-yamaga.jp/dokusho/2003/hyouryuki/endurance.htm

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2023年4月記

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