プレートテクトニクスの拒絶と受容

プレートテクトニクスの拒絶と受容 泊次郎 東京大学出版会
ISBN978-4-13-060307-2 3,800円 2008年6月

目次
まえがき
序 章 プレートテクトニクスと日本の科学史
第1章 大陸移動説からプレートテクトニクスへ――地球科学の革命
第2章 戦前の日本の地球科学の発展とその特徴
第3章 戦後の日本の民主主義運動と地学団体研究会
第4章 「2つの科学」と地学団体研究会
第5章 日本独自の「地向斜造山論」の形成
第6章 プレートテクトニクスの登場と日本の地球科学
第7章 「日本列島=付加体」説の形成とプレートテクトニクスの受容
終 章 プレートテクトニクスの受容とそれ以降の日本の地球科学
あとがき
年表/参考資料/事項索引/人名索引

 なぜ、日本の地質学界はプレートテクトニクスに対して、否定的な態度をとり続けたのか(とり続けることができたのか)。

 ひとつには、明治以後の日本の地質学が地域主義・記載主義・地史中心という態度、つまり、世界の中の日本、地球史の中の日本という視点が欠けていたという伝統がある。外国語の論文の引用が必要ない状態が長く続いたという。

 そしてそれと密接不可分なのが、地団研の存在であろう。一つの学説に対し団体の運動として、それを批判・拒絶してきた歴史。かつて(1980年代に)私がある人(物理)に、地団研を評して「遅れてきた民科」といったら、「違う、民科が破産したことを知らない人たちの集まりだ」といわれて納得したことがある。確かにルイセンコ論争などには興味がなかった(無視したかった?)人たちだろう。

 地質学界の民主化を求めていたはずなのに、40歳定年制を引いていたはずなのに、私が学生のころは既に、幹部(故井尻正二氏たち)への個人崇拝、またなし崩しの定年延長など、目を覆いたくなるような状況にあった。そしてそれらに無批判に加入する人たちがまだ多くいた。

 井尻氏は日本共産党の科学哲学部門のトップでもあったはずで、こんな教条的な人(スターリン批判もできない人)がトップでは共産党も大変だとも思った。

 既に当時のトップの多くは鬼籍に入った。だがその伝統は続いているようだ。つまり、過去の己(プレートテクトニクスに対する態度)を批判的に検討することなく、逆に歴史を改ざんしようとしている(反対したことなどない=組織で機関決定したことでないことは確かだろうが、有力幹部の意向を無視できない団体の体質が見事に反映されていた)。歴史はこうして作るというのが、彼らの「歴史法則」なのか。この本では、そうした“逃げ”ができないように、当時の論文の内容にまで踏み込んで、地質学会、物理学会でどのように扱われたかもカウントされている。

2008年6月記

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