YS-11 世界を翔けた日本の翼

YS-11 世界を翔けた日本の翼 中村浩美 祥伝社新書048
ISBN4-396-11048-0 740円 2006年9月

目次
序章 ラストフライト
1.計画 日の丸旅客機の黎明 
2.開発 五人のサムライと新世代技術者
3.離陸 初飛行と“聖火”空輸の栄誉
4.技術 YS-11のテクノロジー
5.展開 YS-11のファミリー
6.飛翔 日本の翼、世界の空へ
7.失速 無念の生産打ち切り
8.運行 日本のエアラインとYS-11
終章 惜別のダート・サウンド

 ちまたに流布された五人のサムライ=旧日本軍の戦闘機技術者が中心になっていたのではなく、すでに新世代の技術者が中心となって、設計が行われたという。またYSの名称はYusoki Sekkei(輸送機設計)の略だともいう。11などの数字部分の解説もある。11は、10部分がエンジン(ロールスロイス社製ダート10エンジン総発)、1部分が翼面積95m2の低翼案だそうだ。

 「サラブレッドの容貌を持った農耕馬」という評もあるらしい。昇降舵、方向舵などは人力制御。開発中に視察にきたアメリカ航空局(FAA)のパイロットは、すぐに問題点を見抜いたという。FAAのほんとうの検査では、試験パイロットはいきなりエンジン1発停止の状態で着陸したりして、日本人パイロットを驚かせもしている。こうした「曲芸飛行」は、のちに外国に売り込みに行く日本人パイロットも真似をするわけだが。

 たしか初飛行としてTV中継されたのは1962年だった気がする。1964年には航空会社への納入も始まる。この年は東京オリンピックと、それに合わせて東海道新幹線も営業を開始した年。YS-11は聖火を運んでいる。まさに、日本の高度経済成長のシンボル的な存在であった。

 私がYS-11に乗ったのは、1973年の6月、羽田−八丈島であった。初めて乗る本格的な飛行機で、当時はそう小さい飛行機でなかったはずだが、翼がやけにしなるなぁ、大丈夫なのかなぁと思った記憶がある。トイレが水洗でないなんて当然気がつくはずもない(短い航路なのでトイレに行く必要もない)。

 それ以来、考えてみるとプロペラ機ってほとんど記憶がない(カトマンズ−ポカラがそうだったかもしれない、離陸・着陸の時乗客から一斉に拍手が起こった)。YS−11を最後に見たのは、ほぼ2年前、屋久島空港で見た。見ただけで、屋久島の往復は高速船トッピーを使った。乗っておけばよかった気もする。

2006年10月記

戻る  home