大黒屋光太夫

大黒屋光太夫 山下恒夫 岩波新書新赤879
ISBN4-00-430879-8 740円 2004年2月

目次
序章 赤蝦夷の噂
第1章 頼もしき若松浦衆
第2章 遭難、そして漂流
第3章 霧と風のアムチトカ
第4章 カムチャッカからシベリアへ
第5章 イルクーツクでの望郷の日々
第6章 帝都サンクト・ペテルブルグ
第7章 ロシアの黒船と蝦夷地
第8章 鎖国下の日露交渉
第9章 大江戸暮らしとなった伊勢二漂流民
終章 使節レザーノフの長崎来航
あとがき
参考文献

  あの大黒屋光太夫の話。部分的には小説的な書き方も敢えてしたくなるほど、光太夫の漂流譚は人を惹きつけるものがある。

 16人の乗組員と上乗り(御用米の監視役上農民)は、1783年1月15日(陽暦)に伊勢の白子を出発、翌日遠州灘沖で時化に遭い遭難、漂流に入る。7月20日にようやくアムチトカ島に流れ着く。海獣狩りの(原住民を虐げていた)に助けられるが、結局ここで4年過ごす羽目に。その間に多くの仲間を失う。

 ようやくロシア本土に。苦労を重ねて、モスクワへ。その間にも犠牲者やロシアに帰化するものも出る。イルクーツクの博物学者キルーリ・ラクスマンの助けもあり、エカテリーナ二世に会うことができ、帰国の途に。

 それは対日貿易の実現を目指すロシアの政策の一環でもあった。ようやく北海道根室に戻ったのは、1792年10月であった。しかし、はっきりと態度を決められない幕府と、メンツにこだわる使節ラクスマン(キルーリの息子)、船長ロツフォフとの間で翻弄される。苦しい越冬生活を経て、函館で日本側に引き渡されたのは翌年6月。8月には江戸に着き、将軍と面会(お目見え)する。

 結局、光太夫と磯吉の二人だけになっていた。以後、生活は幕府が面倒を見るが、故郷へは墓参以外は戻れない。もっとも、光太夫は「遊民」として生活していたようだ。

2004年3月記

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